猿に餌を与えないで下さい

 

 私はその日、ある山に山菜採りへ向かった。山へ入る前に、近くの道の駅で茶を買った。

「おめさん、何をしに山へ?」

 店番をしていたおじいさんだ。

「ちょっと山菜採りへ」

 それを聞いた途端、彼の目つきが変わった。

「猿に餌を与えないで下さい」

「え?」

「猿に餌を与えないで下さい」

「猿に餌を与えないで下さい」

「猿に餌を与えないで下さい」

 何を問いかけても彼はそれを繰り返すばかりだった。

 彼の瞳の奧では赤い光がぎらぎらと光っていた。私は逃げるようにしてその場を離れ、山へと入っていった。

「何だったんだ」

 背負った籠に山菜を入れていく。うど、それからフキ。今晩は煮物と天ぷらだな。夢中になって採ったせいか、籠が重い。足も重い。腹も減った。私は籠を下ろし、茶とおにぎりを取り出した。が、茶を持っていて片手が塞がっていたせいかおにぎりを落としてしまった。

「あ、」

 拾おうとするも見あたらない。背後に動物の気配を感じる。一匹だけではない。少なくとも十匹は超えている。

 振り向くな。走れ。

 脳がそう叫んでいる。

 しかしそれはできなかった。

 目の前には、おにぎりを持った猿がいた。

 猿の背後に看板が立っていた。

 猿に餌を与えないで下さい、と。



(四九六字)





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